フリートークがなかなかよく出来たよ
最近は英語のレッスンにおいて、スピーキングの教材を使うことを試しています。文法教材に疲れたのです。
文法教材を使ったレッスンの流れは以下のようになっています。
- お題となる文法の説明
- 新出単語の発音
- 例文会話を使ったロールプレイ
- 例文の内容に関する問題
- 該当文法を使用したエクササイズ
- 該当文法を使ったフリートーク
5番と6番以外は、基本的にテキストに書かれている内容の音読みたいなもの。5番もほぼ穴埋めみたいなもんなので、自分で文章構築して喋るのは6番だけなんですが、時間の都合で6番まで辿り着けずに終わることもしばしば。
ある世界的な英語教師が「文法は絶対に勉強するな」と言っていたことの影響もあって、最近はもっぱらスピーキング教材でのスピーキング練習を主に行っています。
フリーカンバセーションだと、なかなか自分の言いたいことを表現しきれずにモヤモヤしたレッスンになってしまうのですが、ウンウン唸りながら毎日レッスンしてたら、段々と会話が成立するようになってきました。
「こんなん無理だわ」と感じることでも、長く続けているとなんとなく出来るようになるもんだなぁと実感しています。
そして、どれだけ拙い表現であっても、強く伝えたいという気持ちがあると、なんとか伝わるもんですね。
最近は「あなたと喋るのはとても楽しいわ。次も私を選んでね」と言ってもらえることが多く、リップサービスの要素も多分にあるにしても、以前よりもそんな風に言われる回数が大幅に増えているので毎日ウキウキした気分で日常を生きることが出来ています。
キャバクラかよ!!
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仕事再開
16日間の長い休みを取って、今日東京での初出勤をしました。電車に乗りたくないよう。
会社に行くと色んな人が「お帰りなさい!」と声を掛けてくれました。私は円形脱毛症の影響で4年間ほどスキンヘッドにしていましたので、久しぶりに会う私を見ても皆んなの目線は少し上です。
スキンヘッドにしてから出会った人もいれば、フサフサ時代の私を知っている人もいるので、その反応はマチマチですが、大体皆一様に髪型には触れません。
人の容姿には触れないというのが社会人としてのマナーなのかな?と思う反面、「もしかしてヅラだと疑っている?」という疑念がムクムクと湧いてきます。
ま、どうでもいいんですけどね。
東京にカムバックしたのと同時に部署異動になったので、新しい部署で仕事開始です。
初日なので特にやることはなく、PCの初期設定と沖縄出張時の経費精算とか引越しに伴う事務手続きとか「帰ってきたよ〜」とか挨拶して一日が終わりました。
明日も満員電車に乗るのは嫌です。
新居探し
沖縄から東京に帰ってきた途端に新居探しがスタートしました。
彼女と別れ同棲を解消し、新しいスタートを切る私です。
色々な理由からシェアハウスを検討していました。
【色々な理由】
- 生活コストを下げたい。これまで同棲していたので家賃は半分で良かったが、1人で住む場合は当然家賃負担が高くなる。
- 英語の勉強をしたい。シェアハウスと言えば通常物件で敬遠されがちな外国人でも入居しやすいイメージ。外国人と共同生活すれば英語を使う機会に困らない。
- 寂しさを紛らしたい。1年間の沖縄出張により、東京のコミュニティを再構築する必要があり、また、別れに伴う一時的な寂しさも共同生活で紛れるかもしれない。
- 変わった体験をしたい。この歳でシェアハウスというのも珍しいし、多国籍環境での貧乏暮らしという希少性の高い体験が出来るのではないかと期待。
シェアハウスと言えば通常物件の入居が難しい外国人が集まっていて、比較的都心の方で、かなり安価に、多国籍で若干カオスな生活空間が繰り広げられるのだろうというステレオタイプなイメージを持っていました。
部屋が狭いとか、トイレやお風呂が共用だとか、 プライバシーがあまり無いとか、住んでる人が怪しい(偏見的一般論)とか、色々とデメリットはあるものの、不便な生活を積極的に楽しもうと思っていました。
風呂無しアパートに住んでたあの頃の私に戻って、もう一度人生をやり直そうと思っていました。
ところが、昨今のシェアハウス事情は幾分違っていました。
「お金が無いからシェアハウス」ではなくて、「一人暮らしでは持てないような充実した設備を使って豊かで楽しい共同生活」というイメージの物件がたくさん。当然安くない。決して高くはないけど。なんか社会がシェア経済に向かっているような印象を受けました。
さながら学生寮や社員寮の生活という感じ。実際、元社員寮をリノベーションして巨大シェアハウスを運営しているシェアハウス専門の会社があったり、様々なコンセプト型のシェアハウスを集めて掲載するサイトがあったり、世の中多様化してるんですね。ここ数年時間が止まってたよ、ワシャ。
中には当然「日本に居ながらにして海外留学」みたいなコンセプトのものもあって、自分のニーズに近いものもあるんですが、付加価値を付けて高く貸すというコンセプトなので、決して安くはない。俺なんかまさにいいお客さんだわ(笑)。
そんなわけで、シェアハウスに住むのか一般賃貸に住むのか決めかねつつ継続中のお部屋探しは、非常に難航しています。
東京に帰ってきて数日が経ちます
東京に帰ってきて数日が経ちます。
毎日不動産屋に連絡しては物件を見て回り、Webを巡回しては情報をかき集め、自分のライフスタイルに合った選択をしようと頭を悩ませる日々です。
私はGolden Week ならず Platinum Weekを取ることにしたので、5/14まで休んで家探しに明け暮れていますが、本来自分の家であるはずの今の家が落ち着かず、日々のルーティンもうまくこなせずにいることが歯痒い限りです。
毎朝5時起きも出来ず、英語のレッスンはスキマ時間を使って昼や夜にやっています。
それでもなんとか1日4レッスンをこなして頑張っていますが、今日は何故か知らないけどフィリピン人講師の胸を打つようなトークをしてしまったようで、1人は何故か泣いていました。
たどたどしい英語でも思いが伝わると感動を呼ぶのだなぁと悟り、言葉はただのツールであり、思いを伝えるというのは言葉を駆使する技術とは別のところにあるのだろうと大いに感じました。
今日のスピーキングレッスンの教材でテーマだったのがFamilyだったので、それが要因なのでしょう。「あなたは両親の愛を感じたことがありますか?それはどんなときですか?」という質問があったので、こんな話をたどたどしい英語で伝えました。
私は両親に東京ディズニーランドに連れていってもらったときに彼らの愛を感じた。
東京ディズニーランドは今から35年ほど前に建設された。私はその時8〜9歳だった。
彼らは東京ディズニーランドが出来たその年に私を連れて行ってくれた。
私たちは日本の田舎に住んでいたので、東京ディズニーランドはとても遠く、そこに行くにはお金も掛かった。
私たちは園内で遊んだが、食事は園内では取らなかった。
私たちは一時的に園外に出て母親の手作りのサンドイッチとおにぎりを食べた。
その時私は両親の愛を強く感じた。
ただそれだけの話なんですが、講師の彼女は涙を流していました。フィリピン人講師の共感力にすごく胸を打たれた一日でした。
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人に与えるとは難しいですね
人に何かを与えたいと思っているんですが、なかなか難しいですね。自分を抑えるのが。
やりたくないことはやりたくないので、つい断ってしまいます。「嫌です。やりたくありません」って。
気に入らないことは気に入らないので、つい文句を言ってしまいます。
人に与えることと、やりたくないことはやらないということの両立が難しいです。
与えたいって気持ちがもはや傲慢なのかな?
なぜ与えたいかと問えば、今まで奪ってばかりだったからと答えます。
「人に与えるにはまず自分が豊かにならないと」という考えが間違っていることは、ようやく分かってきました。
まあ、少しずつ成長して行きましょう。