ADHDについて
彼女にこんなエントリーを紹介された。大人の発達障害の気がある(という疑惑のある)私にとって、「生きるうえでの参考になるかもしれない」という厚意に依るものであった。
その配慮、あな嬉し。
まだ認める訳ではないが、たしかに私には多動性と衝動性と注意欠如の気がある。
子供時代には、大人に褒められて認められたいという気持ちもあったし、義務教育というゲームシステムに関しても自覚的だったので、授業中に教室をウロウロする、お喋りを止められない、という明らかな不適合行動は自制することが出来ていた。
成績も良い方だったし、素直で従順な子供だった(と自分では思っている)し、当時はADHDなる言葉も無かったし、障害があるようには思われていなかったと思う。
ともあれ、私はADHDの人間がどういう点で生きづらさを感じるかということを、身を以て感じてきたと思う。
そんな人間でも生きやすいような社会にするにはどうしたら良いのだろうか?ということを考えさせられた。