ある日起きた変化のまとめ

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先日、大きな事件が起きた。まったく予想外だったので大いに驚いた。同じような体験は過去に何回かしているが、そのときはもう少し予兆があった。今回は青天の霹靂だった。

 

自分の生き方を振り返らされた。他人と向き合うということがどんなことなのか考えさせられた。

 

今まで他人を愛するということが出来なかった。今もちゃんとは出来ないけど、他人を愛することがどんなことなのか少し分かった。

 

思えば大人として欠けているところがたくさんある。社会生活にも支障がある。そんな出来損ないでも愛してくれる人間がいるということに驚かされた。

 

自分も含めて色んな人間が生きている。ある人が自分にとって不愉快なら接触しなければ良い。仕事上接触が必要でも、業務遂行上の最低限の接触に止めることは簡単に出来る。

 

そして、誰もが接触を好まないような人間であっても愛してくれる人がいる。見る角度が違えば愛おしい質感と感じることもある。

 

つまり、どんな人間でも愛する価値はある。要は見る角度なんだろう。

 

だから、不愉快と思ったら接触こそしないものの、積極的に嫌う必要は無い。角度を変えれば愛すべき価値があるはずだ。

 

もちろん無理に角度を変える必要はない。今不愉快ならばその場を去ればいい。ただし、いついかなる時も不愉快になるとは限らないことを覚えておこう。その人の愛すべき角度を見つけた時に見逃してしまわないように。

 

話が逸れた。私のような人間を愛してくれる人が住むこの世界がまた好きになった。

 

そして、積極的に人を愛するということをもう少し出来るようになりたくなった。